小平太流 12/20 新宿 無何有

小平太『松曳き』


そそっかしい殿様と、その家老の三太夫がまたそそっかしくて、そのやりとりが見所の噺。
三太夫の粗忽感が小平太師匠の表情と合っていて楽しかった。

話を二ヶ月まで戻すと、真打ち披露興行にて『井戸の茶碗』『幾代餅』を拝見した際、くずやの清丘衛や米屋の清蔵など、実直な人物を演じて魅せる方なのだなという印象であった。(国立演芸場での披露興行の記事も執筆中)

そういう前提もあったので、自分的には不意を突かれた粗忽噺。しかも三太夫の粗忽感を多彩な表情、所作で演じていて、始終笑わしてもらった。
御前に招かれた八五郎のお、たてまつるの口上聞いた殿様が八五郎に「言っていることがよく分からん」「朋友に申せ」と言っておいて、八五郎がざっくばらんにいろいろ言ったあとの殿様の「やっぱりよく分からん」の一言の間も馬鹿っぽくてツボだった。

『松曳き』の噺自体をまだ数回しか聴いたことがないのもあって良い機会であった。


小平太『野ざらし』☆

堅物で通っている隠居の清十郎の所へ、八五郎が「夜中の女はいったい誰だ」とまず叩き起こしにくる。「壁に穴を開け覗いた」と。
清十郎が事の顛末を説明。
この場面での八五郎の傍若無人っぷりの演じ方が後々の場面にも効いてくる噺だと思うが、中々初っ端から弾けた八五郎で良かった。

清十郎の話を聞いて俺も骨を釣りに行くと言って清十郎の大事な釣り竿を奪って向島へ。
エサもつけずにサイサイ節を歌って周りに迷惑をかけたりと無茶苦茶。
ここも楽しそうな八五郎を演じていて良かった。
その後の夜中に女がきて妄想に耽る場面も馬鹿さが出ていた。

この噺は自分の記録だとサゲまで聞いたことがなかったのだが、向島八五郎を見ていた太鼓持ちが祝儀を貰おうとやってくる場面まできっちり魅せてくれた。
八五郎太鼓持ちの噛み合わないやりとりも楽しかった。
「新調の太鼓?しまった、馬の骨だった」なんてサゲは落語っぽくて好き。
この噺はサゲまで聴いてこそだなと感じさせていただいた。


小平太『芝浜』

地方公演で『芝浜』という演目名を覚えてもらえなかった的な軽いまくらから本題へ。
個人的には勝五朗が元は一人前の魚屋で、ただ酒が好きで、といったまくらで勝五郎の描写がある方が好きかな思った。けれどもこの会は小平太師匠の昔からのご贔屓の方が大勢とお見受けしたので、これはこれで良いのであろう。

勝五郎が家から出て芝の浜まで行く場面は寒い明朝の景色が浮かんだ。
小平太師匠は表情が豊かだ。
初めて観た『芝浜』はこの人の師匠、さん喬師匠のものであったのを思い出した。

カミさんが財布を拾ったのは夢だと信じ込ませる場面はちょっとあっさりと感じた。勝五郎がやけに良い人すぎるというか。
言い方が難しいが「夢なわけねえだろ!」という勝五郎の心持ちがもっと見えても良かった。
夢だと信じてまた河岸に行く時に前日同様、空を見上げて「星が綺麗だ」と呟くところはこの人しか出せなであろう味があった。

改心し、店ができて、カミさんとの間に子供ができる。晦日でのやりとりでいいなと思ったのは、勝五郎の
子供の扱い。江戸っこの親父ってこんな感じだったんだろうなというさっぱりしつつも愛を感じる親父の描写だった。