大 古今亭祭り 渋好み 金原亭の会 1/17 前半

会場は日本橋公会堂。大古今亭祭りは14(月)〜18(金)まで開催され、どの日も楽しそうな顔付け。今松、雲助の名前に惹かれたし、休みも丁度都合がついたのでこの日を選択した。


ひしもち『寿限無


白酒さんのお弟子さん。細長くちょっとか弱そうに見えるがしっかりとした口調と、それぞれの登場人物にメリハリがあり好印象。

噺の筋をずらさず、白酒さんの弟子だなと思わせてくれる独自のくすぐりもあり、人それぞれ好みはあると思うが、チョイスしている言葉がおもしろく、この人のくすぐりがもっと噺に馴染んでくるとより会場を惹きつけられるようになると思う。

普通にこの噺を演じたら上手くこなせるのだろう。



馬石『安兵衛狐』


私の一番贔屓な噺家さんであったりする。何を聴かせてくれるのかと期待したが、寄席でも聴く期待の多いこの噺。

他の長屋の住人とはあまりソリが合わないが、互いは仲が良い源兵衞と安兵衛の二人が主な主人公。

源兵衞が酒を持って花見に行こうとしていたところ、長屋の他の連中が気をきかせて「花見でも行くのかい?」と尋ねるが、意地を張って「墓見に行く」と言ってしまったため、墓見に行くことにした源兵衞。

どうせなら女の墓の前で、と飲んでいて墓に話かけたりしていたらこれが意外と楽しいと思いだす源兵衞。安兵衛も今度誘おう。と楽しげな雰囲気を醸し出す技術はさすがは馬石さん。

塔婆が風で倒れたかと思うとそこには骨が覗いていた。骨にお酒をかけてあげ「ええ酒でござんしょ」「あなたさんもお酒がいける口ですね」なんて言いながらいい心持ちでうちに帰る源兵衞。

その夜、その女が幽霊の姿でお礼に訪ねてくる。ここのやりとりでの女の幽霊らしい少しか細い感じと、最初はびっくりするも、それにしても良い女だとテンションが上がる源兵衞がいつもよく表現できているなと思う。

その女を女房にして、夜に仲良くやっているところを安兵衛に発見される。ことの次第を安兵衛に説明すると、案の定安兵衛も墓見に行くと出かけていくが、手頃な骨が見つからい。そこで猟師に捕まってしまった女狐を助ける安兵衛。

猟師に何かと質問をする安兵衛と面倒臭そうな猟師のやりとりも馬石さんならではの空気感で見せ場だ。

そして助けた女狐がその夜に安兵衛を訪ねてきて、その女狐が安兵衛の女房になる。

安兵衛、源兵衞の二人に何故あんな綺麗な女房ができるのかと不思議に思う他の連中。

安兵衛の女房は目がキョトンとしていて、口がシュっとしているから狐なのではと安兵衛を訪ねる連中だが...

といった流れの噺。

馬石さんのフラにも合っていてニンな噺だと思う。

話が前後するが、マクラでの圓菊一門、志ん朝、金原亭とそれぞれ個性が違う一門が集まったのが古今亭でという話が楽しかった。



伯楽『猫の皿』


25分くらいの持ち時間であったと思うが、古今亭に関するマクラを時間の半分くらいたっぷりと。

私自身はこんな偉そうな落語の記録を書かせていただいているが、まだまだ新参の落語好きで、志ん生、10代目馬生、志ん朝といった名だたる名人の落語をライブで観たことがなく、そういった名人の元での経験したことを聞かせていただけるのは大変貴重であると思う。大古今亭祭りと名打つ理由がこういうところにも感じられた。

『猫の皿』は寄席でもよく観る機会があるので、この方の定番という認識。噺の筋としてはそこまで展開が多くはないので、道具屋がお茶をいただく仕草やそこに猫が見えるようにどう演じるかなど、大事な見所がいくつかある噺だと思う。

伯楽さんにかかると道具屋がお茶をいただく仕草、高麗の梅鉢茶碗を見つけた時の目利きの目が光ったように見える感じなど所作一つ一つに無駄がなく綺麗だと感じる。

安心して聴いていられるこの方のこの高座である。



さん喬『時そば


柳家からゲストで出演のさん喬さん。柳家一門会を開催する時には、同様にゲストを呼ぶこともあり、馬石さんなどが良く呼ばれ楽屋でいじめられているというマクラが可笑しかった。自分もいじめられないか心配だと。

後日の菊之丞さん(この会の発起人の一人)のツイッターにて、この会の楽屋も盛り上がっていたという旨のツイートがされていた。真相や如何に?


伯楽さんの高座が少し長引いたのかさらっと『時そば』を。

始まりの部分のさん喬さんの「蕎麦ぃっ〜」とシンと静まり返った冬の寒い夜というシーンがすぐに見える、マクラの振り方、噺への導入にはいつもぞくっとさせられる。

私自身は噺家ではないし、こういう言い方は良いのか分からないが、お手本となるような『時そば』だと思う。噺の筋を変えずに噺の良さを引き出す高座にいつもプロフェッショナルを感じる。


ここで仲入り。後半へ。

1/14 柳亭こみちの会 西新宿ミュージック・テイト

昨年の寄席での高座(虱茶屋、七度狐、うわさ小町)が凄く良い印象で昨年の内にこの方の会があれば行こうと思っていたのだが、折り合いがつかず年は越してしまったが、念願のこみちさんの独演会である。



こみち『女泥棒』


白鳥師がこみちさんのために作った新作とのこと。大師匠の小三治師の出番の前でこの演目を高座でかけて、、、というマクラが楽しかった。

噺のあらすじは泥棒になりたい大店の娘が女泥棒に弟子入りを懇願してひと騒動という流れ。自分の店からお金を盗んで貧乏な人に分け与えるのが目的。

娘が女泥棒に見守られながら泥棒に入るが、家主が在宅中の家に入ってしまう。が、おそらく見た目が可愛くおっちょこちょいな娘で、家主の好意で泥棒の成果を上げられる。

落語らしく綺麗なサゲもついて悪くはなかった。

恐らく舞台は江戸時代だと思うのだが、娘の口調が現代っぽ過ぎるのが気になった。

寄席で映える噺だと思うので、しばらく高座ではかけてないと仰っていたが、磨いていってもよいのかも。



こみち『徳ちゃん』☆


演題は知っていたが初めて聴く噺。

『徳ちゃん』自体はほとんど出てこない。

落語二人が女郎屋に遊びに行くが、いろいろと散々。

主役の落語家の連れ合いの方「徳ちゃん」は”はなれ”と呼ばれる部屋に通される始末。この”はなれ”の形容が中々可笑しい。

主役の落語家の方にはとんでもない花魁。こみちさんが『女泥棒』に入る前に予備の手ぬぐいを高座の後ろに置いていて、何使うのだろうと思っていたがここだったか。

両手に芋を持ってガシガシ食べながら(両手に手ぬぐいをぐいっと掴んで)、熊の様なと表現された花魁が登場。田舎訛りで、「ちゅっちゅっしてくんろ」とかやりたい放題。

女性の噺家でここまで表現してくれるか!と感服した。

『虱茶屋』の時にも感じたけど照れがなく笑わせどころを笑わせる度胸が凄いなと感じた。また観てみたい。



こみち『小間物屋政談』


この噺もライブで観られたのは初。結果この日は初めて三席とも初めて観る噺でありがたい機会であった。


背負い小間物屋の小四郎が女房のおときを残して、上方へ仕入れの旅に出た。

箱根の山にて用を足そうと雑木林へ入ると、男が襦袢一枚で木に縛られている。その男が若狭屋という大店の小間物屋の旦那。

盗賊に身ぐるみをはがされたというので、お金と自分の予備の着替えを貸して、自分の住所と名前を書いた書きつけも渡し、旦那は江戸へ小四郎は上方へと別れる。

しかし若狭屋の旦那は身体が弱ってしまっており亡くなってしまう。

書きつけから小四郎だと間違われてしまい、大家の源兵衛が死体を引き取りに行く。ここで源兵衞が仏様を見るのを怖がって、着ている服が小四郎の者だということでちゃんと確認もせずに火葬してしまう。

ここの源兵衞の描写が中々良かった。源兵衞のいい加減さが上手く伝わってきて後半へのよい流れになったと思う。


源兵衞がおときと、小間物屋を生業としている小四郎の従弟の三五郎の仲人となり二人は結婚する。

女泥棒の時にも感じたがこみちさんが演じる女性は声色に可愛さが上乗せされる印象で、この噺のおときに関して言えばもう気持ち、落ち着きのある声色でも良いのかなと思った。


当然生きている小四郎は帰ってくるわけで長屋は大騒ぎに。本気で何があったかわけがわからなくなっている小四郎の様子が可笑しい。

おときに小四郎と三五郎、どちらを亭主としたい。と源兵衞が尋ねる。おときが三五郎を選んだことで、源兵衞のちょっと大雑把な「お前はどっか行ってしまえ」と小四郎に対する一言、あしらいも楽しく観せていた。


小四郎は奉行所に訴え出る。

大岡越前守にも源兵衞から言われたようなことを言われ、落ち込んでいる小四郎。

その場には若狭屋の女房も呼ばれていて、若狭屋の女房と所帯を持たないかと大岡越前守に持ちかけられる。最初は乗り気ではなかった小四郎も若狭屋の女房の綺麗な容姿を見て、態度が一変。この時の小四郎のウキウキした様子も何とも可笑しかった。

小四郎の「大岡様へのご恩は一生背負いきれません」

に対して「背負い小間物屋ではない。もう背負うには及ばない」でサゲ。大岡越前守の人柄の表現もよく、奉行所の場面は流れよくサゲまで聴かせてくれた。

噺のリズム感もよくダレることなく観ることができた。それぞれの登場人物の表現も分かりやすい。高座で沢山かけることで、もうちょっと”渋さ”も感じるこの人の小間物屋政談になっていくのであろうと思う。


話が前後するが、女泥棒の前の紅白歌合戦に関するマクラがすごく面白かった。10分くらいたっぷり語っていたと思うがずっと聞いていられる話の巧さもさすがだと感じた。

また機会の合う独演会には是非足を運びたいし、寄席での15分の高座、そしてトリの高座も楽しみである。

黒門亭 1/2

2019年の落語始めは黒門亭の正月興行から。小満ん師匠の御慶、それに去年の後半から自分の中で評価がうなぎのぼりの駒治さんを目当てで。

さっそく演目と感想を。



あんこ『ゴジラかっぽれ』


あんこさんの師匠、林家しん平師匠が鈴本演芸場で披露していたという情報は知っていたが、観るのは今回が初。

ゴジラの着ぐるみでかっぽれを踊るという、特撮が好きなしん平師匠ならでは。

あんこさんの明るい人柄もあってなかなか気持ち良く楽しめた。ちなみに落語はなくゴジラかっぽれのみ。



喬の字『たらちね』


九月に真打ちに昇進のこの方。

科白が何箇所か飛んでいるし、噺の本筋にあまり繋がらないくすぐり、改変が何回か。正直に言うと真打ち昇進大丈夫なのか?と思ってしまった。

書き方が難しいが、『たらちね』という噺が、特に初めて『たらちね』を聴く人がもしいたとしたらどんな噺か伝わらないのではと思った。

顔立ちや声は良い。一度本寸法のこの噺を取り入れて、改良をするのであれば改良してほしいと思う。

ちなみに会場の笑いは多かった。人を惹きつける魅力はあると思うが私には引っかからなかった。イメージが変わる次の高座に期待したい。



馬楽『紙屑屋』


初めてのこと方。というのもホームページを拝見したら長期入院されていたらしく、最近復帰したのこと。

それもあってか一瞬科白を考えながらかなと思う間の部分もあったがトントンっとした語り口調で楽しい高座。

『紙屑屋』はようやく初めて聴けた噺で、紙屑屋という商いが昔はあったのかと思いながら聴いていた。

噺の入りは『湯屋番』と同じ。二階で居候している若旦那が奉公に行く噺で、若旦那が紙屑屋に出向く際の「紙屑屋より湯屋みたいな艶っぽいところで奉公したい」という科白が中々可笑しかった。

紙屑を選り分ける場面で「〜、湯島なる人参様に冬瓜かけ〜、」と野菜の名前が所々挟んである手紙を読むところなんか落語っぽくて好きだな。

忠臣蔵七段目の科白本なども出てきて、その度に仕事をせず本や手紙を読む若旦那の軽やかさが楽しい一席であった。


仲入り


駒治『10時打ち』


最近マイブームなこのお方。昨年末から連続してこの方の高座を拝見してとても楽しませていただいている。

10時打ちとは、予約取り辛い寝台列車などの乗車券が乗車日の一か月前の10時より販売されるため、販売日当日、みどりの窓口にてJRのマルスという機械にあらかじめ必要な情報を入力してもらい、10時ぴったりのタイミングで購入の操作をしてもらうことらしい。駒治さんのマクラより。

で、この噺は東京駅の10時打ちの達人である谷口さんが、10時打ちをどうしても成功させて名を上げたい上野駅の駅員に拉致されて、10時打ちを強要される。

谷口さんがいないと気付く東京駅のお客さん(半年前から乗車券を買うために並んでいた)、普段から上野駅に馬鹿にされていた西日暮里の駅員さんなども登場し、てんやわんやな内容なのだが、要所要所のくすぐりが面白く、何より駒治さんの熱量が凄いため観ているこっちも気分が高揚してくる。

登場人物の演じ分けがもっと丁寧ならとも思うが噺の楽しさと駒治さんの圧でかなり満足度の高い高座であった。

熱量のある起・承・転からのほんわかしたサゲが良い味を出していると思った。



小満ん『御慶』☆


新年早々縁起の良い噺を小満ん師匠の高座で聴かれるだけで満足。

御慶を演じるには少し短かったため、裃と刀を誂えに行く場面は省いていたが十分に楽しませていただいた。

鶴の千八百四十五の札が売れてしまったと知った時の八五郎の江戸っ子口調での言い立てには勢いがあったし、富くじが当たって立てなくなった八五郎の所作が何とも可笑しく味がある。

元旦の朝に裃を纏い年始の挨拶をする八五郎のワクワクする様子も小満ん師匠でしか味わえない八五郎の人柄が見えたように思う。

大家が八五郎に御慶を教える際に大家がつぶやく

長松の 親の名でくる 御慶かな

という句もこの噺に奥深さを与えていると感じた。

2019年、良き落語始めになった。


新宿末廣亭 夜席 12/27 後半

仲入り後


文雀『八問答』


初めて聴いた。世の中の物はすべて”八”の数字から成り立っているという落語らしい頓知の効いた噺。

神様は八百万、狸のなになには八畳敷きなどいろいろな物に八を絡めて話す流れが楽しい。覚えきれなかったので、音源で探してもう一度聴いてみよう。

この方は後半、現代のスポーツなども”八”を絡めて話していくという、この方の恐らく改作なのかな?

本寸法を聴いてみたいとも思ったが高座自体は楽しい一席。



ホームラン『漫才』


2018年、このお二方の漫才を一番多く観たであろう。一度某寄席で本番中に話かけてくださって、まごまごしているところを笑いに変えてくれたのは良い思い出。ベテランなのにエネルギッシュな漫才にいつも楽しませていただいている。



ひな太郎『そば清』


高座は上手いなっという感想は抱いたが、そこまで印象には残らなかった。こんな噺家さんという特徴がないというか。

この噺は清兵衛のどぉ〜もの所で割と笑いが起きやすいと思うが、客席自体の笑いも少なかった。

この一席ではもちろん判断しかねるので次に期待。



才賀『カラオケ刑務所』


初めて聴いた時は大いに笑った思い出。くだらないが良くできた替え歌だと思う。

他の応募された新作も満遍なく聴いてみたいと思うのは贅沢であろうか。

それにしても鈴本演芸場でのある日の寄席(同じ興行)でこの方の『親子酒』『松山鏡』を聴かれたのは貴重な機会であった。



仙三郎社中『太神楽』


時間が伸びていたので、傘の曲、土瓶、花笠を6分ほどで。寄席に彩りが加わる芸だ。



むかし家今松『柳田格之進』☆


この日の大トリ。お目当て。

まず、単刀直入に言う感想を申し上げると、2018年落語納めに相応しい最高の高座であった。

柳田格之進が娘に対する思いを語り、刀を振り上げるも源兵衛、番頭の首を打てず、の場面は圧巻で自然と涙が溢れそうになった。


序盤から中盤にかけては少し軽めの語り口、今松師匠の飄々とした雰囲気で噺は進んでいく。

この噺は初めから少し芝居芝居仕立てというか厳かな雰囲気で噺が進んでいくというイメージがあったが、今松師匠は起承転まではそこまで重くならず、という構成にしているのかなという印象であった。


その中でも中盤に番頭が柳田格之進に対し、金子が紛失したことを伝える場面では「長年番頭をやってきたのに、何故付き合いの浅い柳田という男がこれほど信頼されているのか...」という気持ちが伝わってくる。今松師匠の表情、声色が素晴らしかった。


2019年は今松師匠の高座をもっと追いかけていければと思った圧巻の高座であった。

新宿末廣亭 夜席 12/27 前半


 扇ぽう『たらちね』


扇遊師匠のお弟子さん。この高座が初めましての、はず。

時間が少し押していて短めでサゲ。

師匠の良いところを吸収してほしい。楽しみな前座さん。また聴きたい。



さん助『十徳』


『十徳』と書いて『じっとく』と読むのか。初めて聴いた噺。

十徳が何かイメージが掴めなかったので、いろいろ検索したがそこは割愛。

十徳は何故十徳というかを隠居に教えて貰い、仲間内に披露するが上手くいかずにどんどん正解が分からなっていく。落語らしい展開が楽しい噺。

二つ目の小駒さんと出番が交代しており、先を急いでいたのか、高座も少し駆け足に感じた。15分で時間に余裕がある状況でまた聴いてみたい。



小駒『からぬけ』


縁合って?二つ目披露の興行で4度高座を拝見している。二つ目になって印象が良くなった。前座の時より堂々としているように見える。

与太郎が馬鹿になりすぎてると聴くのが辛くなってくるが、程よく与太郎だった。『牛ほめ』の与太郎をどう演じるか観てみたいとふと思った。



とんぼ・まさみ『漫才』


定番のやりとりは定番だけありうけるが、後半のコント仕立ての部分は寄席には不向きだと思う。上方漫才の強みを見せてほしい。



菊之丞『長短』


菊之丞師匠の長さんはお馴染みの関西のバージョンで。

短七さんの気の短さが疾走感があっていつも楽しい。長さんもほんわかしていい。何回も観ているがいつも楽しめる。

寄席の空気がほんわりと温まった名演。



夢葉『奇術』


ストレート松浦さんの代演。

ロープの手品までたっぷりと。

お客さんとの対話が見える手品、さすが。



半蔵『反対俥』


今年はわりと寄席で観ることが多かった方。

熱量は感じたが、もう少し味というかがほしい。何故かぐっとこなかった。明るくて好きなのだが。

国立演芸場の定席での『鮑のし』はなかなか楽しい高座だったのにな。



鉄平『ざる屋』


本寸法で観せていただければすっと噺が入ってくるのだが、噺の本筋からズレるくすぐりが何度か出てくる高座は個人的には苦手。

この日のお客さんもどちらかと言えば私寄りな方が多かったと思う。



ぺぺ桜井『ギター漫談』


いつもと変わらずの。寄席に欠かせない色物さんだといつも感じる。正月の寄席でも引っ張りだこ。お身体を大事に長く続けて欲しい。



南喬『鮑のし』☆


本日のお目当てのお一人。三月の国立演芸場での『ふぐ鍋』でかなり楽しませていただいたのを思い出す。

今回のこの噺も大いに笑わせていただいた。

甚兵衛さんの科白や所作、一つ一つが本当に可笑しかった。

祝儀の口上を言い詰まる場面など、演技がわざとらしく見える噺家さんもたまにいらっしゃるのだが、南喬師匠が演じる甚兵衞さんは素に見えるので、こちらもスムーズに笑える。名人芸だと思う。

少し落ち着いてきた客席がどっと湧いた一席であった。


新宿末廣亭 昼席 途中から 12/27

今年度、落語納めは夜の今松師匠を目当てに新宿末廣亭へ。

昼の開口一番からと思っていたが、所用の為途中から。

一階はほぼ満席で初めて二階席へ!少し興奮。わりと見やすい。ということで演目などなど。



アサダ二世『奇術』


池袋上席では手品をせずに思い出話などを語るだけで、それはそれでかなり楽しかった。という前提があっての久しぶりに感じるこの方の手品。満席の末廣亭を程よく湧かせる。



柳家小満ん『出来心』


本日のお目当ての一人。余計なくすぐりがなく淡々と。

本来のサゲまで観られるとよりこの方の良さが観られると思う。時間も気持ち押してたのもあり。

一服して羊羹をいただくとこはやはりこの方ならではの味。所作が綺麗だ。



彦いち『熱血!怪談部』☆


とにかく笑った!初めて聴いたがこの方の新作で一番好きだ。

とある学校の怪談部の顧問となった流石(ながれいし)先生。

怪談部の生徒は怪談を話すのが苦手で、怪談を練習する生徒に小声をいう流石生徒が可笑しい。もしかしたら饅頭恐いってくすぐりもあるかも!と思ったら、ありがたい、期待に応えてくれた。

後半にはのっぺらぼうなど本当のお化けも登場してくるが、それに動じない流石先生。そしてミステリアスなサゲは一聴の価値あり。また聴きたいな。新作も好きになってきた。



ロケット団『漫才』


安定。何回同じネタを見ても笑える。毎回ちょっと間が違うところもありちょっとずつ修正しているのであろう。客席の笑いも多く、彼ら自身も楽しそうな漫才だった。



しん平『漫談』


あまり覚えてない。今年この方の『元犬』『時そば』を某寄席で聴いて落語が聴きたいなと思っていたが。漫談は面白いがちょっと話を盛ってるように聞こえるのが気になる時があって。まあ好き嫌いか。



清麿『東急駅長会議』


東急沿線の各駅の駅長が東急沿線についての問題を提示し合うといった噺。耳にしたことのなかった駅名も出てきて、後で沿線図を見返しながら噺を思い出し楽しんだ。

10/9「東急の日」に各駅停車駅と急行停車駅が変わるということになり、それを楽しむ老夫婦のやりとりが可笑しかった。



のだゆき『音楽漫談』


久しぶりに。楽器の演奏の技術はさすが!(素人目から見て)

合間の漫談が整頓されてて良かった。変に笑いを取りに行くよりこの方の地の魅力で客席を笑顔にできると思う。


小ゑん『レプリカント


酒癖の悪い八木くんという学生が主人公。酩酊するといろいろな物を持って帰る癖があり、この日もどこからかカーネルサンダースの人形を持って帰ってきてしまう。それを人の良い先輩と誰にも気づかれずに戻しに行くが、という噺。

警察に目をつけられた時に、近くの公衆電話にカーネルサンダースの人形を収めて、電話をしている外国人っぽく見せようとする作戦が阿保でかなり笑った。

この場面が後のサゲに繋がっていくが…

レプリカント』という演目名はブレードランナーという映画由来らしいが私はまだ見たことがなく...

サゲの部分はもしこの映画を見ていればもっと、おぉ!となったのか、もしくはブレードランナーの物語にそった噺なのかとかいろいろ考えたが、噺自体は構成も良く客席の笑いも多かった。


ただマクラが8〜10分、本編が15分くらい(体感です。すみません。)

だったように思うので、トリならではの噺が聴きたかったなと思ったりもした。

噺自体は本当に良い噺!



小平太流 12/20 新宿 無何有

小平太『松曳き』


そそっかしい殿様と、その家老の三太夫がまたそそっかしくて、そのやりとりが見所の噺。
三太夫の粗忽感が小平太師匠の表情と合っていて楽しかった。

話を二ヶ月まで戻すと、真打ち披露興行にて『井戸の茶碗』『幾代餅』を拝見した際、くずやの清丘衛や米屋の清蔵など、実直な人物を演じて魅せる方なのだなという印象であった。(国立演芸場での披露興行の記事も執筆中)

そういう前提もあったので、自分的には不意を突かれた粗忽噺。しかも三太夫の粗忽感を多彩な表情、所作で演じていて、始終笑わしてもらった。
御前に招かれた八五郎のお、たてまつるの口上聞いた殿様が八五郎に「言っていることがよく分からん」「朋友に申せ」と言っておいて、八五郎がざっくばらんにいろいろ言ったあとの殿様の「やっぱりよく分からん」の一言の間も馬鹿っぽくてツボだった。

『松曳き』の噺自体をまだ数回しか聴いたことがないのもあって良い機会であった。


小平太『野ざらし』☆

堅物で通っている隠居の清十郎の所へ、八五郎が「夜中の女はいったい誰だ」とまず叩き起こしにくる。「壁に穴を開け覗いた」と。
清十郎が事の顛末を説明。
この場面での八五郎の傍若無人っぷりの演じ方が後々の場面にも効いてくる噺だと思うが、中々初っ端から弾けた八五郎で良かった。

清十郎の話を聞いて俺も骨を釣りに行くと言って清十郎の大事な釣り竿を奪って向島へ。
エサもつけずにサイサイ節を歌って周りに迷惑をかけたりと無茶苦茶。
ここも楽しそうな八五郎を演じていて良かった。
その後の夜中に女がきて妄想に耽る場面も馬鹿さが出ていた。

この噺は自分の記録だとサゲまで聞いたことがなかったのだが、向島八五郎を見ていた太鼓持ちが祝儀を貰おうとやってくる場面まできっちり魅せてくれた。
八五郎太鼓持ちの噛み合わないやりとりも楽しかった。
「新調の太鼓?しまった、馬の骨だった」なんてサゲは落語っぽくて好き。
この噺はサゲまで聴いてこそだなと感じさせていただいた。


小平太『芝浜』

地方公演で『芝浜』という演目名を覚えてもらえなかった的な軽いまくらから本題へ。
個人的には勝五朗が元は一人前の魚屋で、ただ酒が好きで、といったまくらで勝五郎の描写がある方が好きかな思った。けれどもこの会は小平太師匠の昔からのご贔屓の方が大勢とお見受けしたので、これはこれで良いのであろう。

勝五郎が家から出て芝の浜まで行く場面は寒い明朝の景色が浮かんだ。
小平太師匠は表情が豊かだ。
初めて観た『芝浜』はこの人の師匠、さん喬師匠のものであったのを思い出した。

カミさんが財布を拾ったのは夢だと信じ込ませる場面はちょっとあっさりと感じた。勝五郎がやけに良い人すぎるというか。
言い方が難しいが「夢なわけねえだろ!」という勝五郎の心持ちがもっと見えても良かった。
夢だと信じてまた河岸に行く時に前日同様、空を見上げて「星が綺麗だ」と呟くところはこの人しか出せなであろう味があった。

改心し、店ができて、カミさんとの間に子供ができる。晦日でのやりとりでいいなと思ったのは、勝五郎の
子供の扱い。江戸っこの親父ってこんな感じだったんだろうなというさっぱりしつつも愛を感じる親父の描写だった。